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カメネツ (ルーシ) : ウィキペディア日本語版
カメネツ (ルーシ)
カメネツ()はルーシの年代記レートピシ)にその名が記される、キエフ・ルーシ期の都市である〔Каменец, древнерусский город // Энциклопедический словарь Брокгауза и Ефрона(ブロックハウス・エフロン百科事典): в 86 т. (82 т. и 4 доп.). — СПб., 1890—1907.〕。スルチ川(ru)左岸(西側)に位置し、キエフ公国との国境線に面したヴォルィーニ公国の都市であった。現存せず、跡地は現ウクライナジトームィル州カミヤンカ(ru)にあたる。
==歴史==
カメネツに関する最初の言及は1196年である。すなわち、ロマンとリューリク(ru)との政権闘争の過程で、リューリクの子のロスチスラフ がカメネツ近郊を攻撃した、という記述である。また、1221年、ロマンの子の1人であるダニールガーリチから追放され、ハンガリー王国へ亡命した後に、ロマンの子の1人のヴァシリコがカメネツのクニャージ(公)を名乗ったが、分領公国としても存続することはなかった。
1228年、ルーシに帰還したダニールは、カメネツでキエフ公国チェルニゴフ公国ピンスク公国ポロヴェツ族の連合軍を相手取る包囲戦を耐え抜いた。なお、ルーシの年代記の中には、これをクレメネツ(ru)における戦闘であると記すものもある〔Греков И. Б., Шахмагонов Ф. Ф. «Мир истории. Русские земли в XIII—XV веках». М.: «Молодая гвардия», 1988. 〕。
1239年、カメネツにおいて、キエフからハンガリーへ亡命中のチェルニゴフ公ミハイルの家族が、ヤロスラフという公に捕獲されたという記述が年代記上にみられる。このヤロスラフに関する詳細は不明であり、ヤロスラフ・イングヴァレヴィチとする説〔Грушевский М. С. ХРОНОЛОГІЯ ПОДІЙ ГАЛИЦЬКО-ВОЛИНСЬКОГО ЛІТОПИСУ 〕、ヤロスラフ・フセヴォロドヴィチとする説がある〔ニコライ・カラムジン История государства Российского 〕。
1240年、モンゴルのルーシ侵攻の過程においてカメネツは破壊され、その後復興することはなかった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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